大判例

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東京地方裁判所 平成4年(行ウ)209号 判決

主文

一  被告が原告に対して平成二年八月三日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、東日印刷株式会社(以下「東日」という。)に勤務していた原告の亡夫三浦恒夫(以下「恒夫」という。)が勤務時間中に虚血性心不全で死亡したことは業務に起因するものであるとして、原告が被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたのに対し、恒夫の死亡は業務に起因するものとは認められないとして右各請求について不支給処分の決定がされたため、原告が右各処分の取り消しを求めた事案である。

一  争いのない事実等(以下の事実は、末尾に証拠を掲記したもの以外は、いずれも当事者間に争いがないか、当事者が明らかに争わない事実である。)

1 東日

東日は毎日新聞社系列であり、聖教新聞、公明新聞、スポーツニッポン新聞、株式市場新聞等日刊新聞を中心に印刷している。従業員数は、恒夫死亡当時で四一三名であった。

2 恒夫の東日における勤務歴

恒夫(昭和一五年一一月一七日生)は、昭和四九年九月に東日に入社し、入社当初は印刷部に配属されたが、約四カ月後に制作部に配転となり、約一二年後の昭和六二年二月、印刷部に配転された。

3 印刷部の通常勤務時間

印刷部の通常の勤務時間は別紙第1表のとおりである。(なお、東日の勤務表上の労働時間は、第一日目・第三日目は一七時から翌日四時まで、第二日目・第四日目は九時から一七時までであるが、勤務実態は別紙第1表のとおり、第一日目・第三日目は一六時から翌日四時まで、第二日目・第四日目は九時から一六時までである。)

4 特別勤務体制

東日は、東京都港区芝一丁目にあった本社工場(以下「金杉工場」という。)を、同都江東区越中島所在の現在の本社工場(以下「越中島工場」という。)に移転する計画を立て、昭和六三年六月より越中島工場の印刷機の稼働を始めるなど漸次移転を開始し、同年一二月に移転を終了させた。このため、同年六月より一二月までの間、両工場を同時に稼働させ、これに対応するため「特別勤務体制」と称する勤務体制をとった。その勤務時間は別紙第2表のとおりである。恒夫は同年七月一〇日から、この特別勤務に就き、七月一一日、二一日、三一日、八月一一日、二一日、三一日、九月一〇日が特別勤務日であった。

5 恒夫の勤務状況

恒夫の死亡前一〇日間の勤務状況は別紙第3表のとおりである(同表「始業・終業及び就労業務の内容」については《証拠略》)。また、発症前六カ月間の勤務状況は別紙第4表のとおりである。

6 恒夫の死亡

恒夫は昭和六三年九月一九日越中島工場で勤務中、昼食休憩後職場に戻って間もなくの午後一時五五分ころ、作業現場である地下一階の輪転機の近くの壁際に意識不明で倒れていたのを同僚に発見され、直ちに東日の産業医である進藤嘉博医師に連絡がとられ、同医師の診察を受けたが、既に死亡していた。東京都監察医務院での検視の結果、冠状動脈硬化症による虚血性心不全と検案された。死亡当時四七歳であった。

7 本件処分等の経過

(一) 原告は、亡夫恒夫の死亡は労働基準法施行規則三五条別表第一の二第九号(業務に起因することの明らかな疾病)による死亡であるとして、平成元年四月三日、亀戸労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の請求をし、同署長は、調査のうえ、同年六月二一日、労災保険の適用について管轄する被告に回送した。被告は、恒夫の死亡原因である虚血性心不全は同規則所定の疾病とは認められないとして、平成二年八月三日、遺族補償給付及び葬祭料不支給決定処分(以下「本件処分」という。)をした。

(二) 原告は本件処分を不服として、同年九月二五日、東京労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが、右請求から三ヵ月以上経過しても同審査官による決定がなかったため、平成四年一一月一九日、本訴を提起した。その後、同審査官は本訴継続中の平成五年八月一八日、右審査請求を棄却する決定をした。

二  争点

恒夫の死亡は業務上の事由によるものであるか、具体的には、恒夫の死亡原因である冠状動脈硬化症による虚血性心不全と恒夫の業務との間の因果関係が認められるか否か。

三  当事者の主張

1 原告の主張

(一) 業務起因性について

(1) 「業務上」の死亡の意義

業務と相当因果関係があるというためには、業務と負傷、死亡、疾病等との間に条件関係があるだけでは足りないが、業務が負傷等の唯一の原因である必要はなく、負傷等の生じた原因の中で業務が相対的に有力な原因であることを要し、かつこれで足りるのであって、他に共働する原因があり、それが同じく相対的に有力な原因であったとしても、相当因果関係の成立を妨げない。

被災者の疾病の発症・増悪(以下、「発症等」という。)につき、業務と関連性を有しない被災者の基礎疾患、素因もしくは既存疾患(以下、「基礎疾患等」という)が原因(主因)となった場合であっても、業務が基礎疾患等を誘発または増悪させて発症等の時期を早めるなど、基礎疾患等と共働原因となって発症等の結果を招いたと一般経験則上(医学経験則までは必要としない)認められる場合には、業務と発症等との間に相当因果関係が成立する。

そして、被災者に基礎疾患等がある場合には、被災者の従事した業務内容が、被災者にとって基礎疾患等に悪影響を与える性質のもので、その従事期間が相当期間にわたる場合は、他に基礎疾患等の自然経過(加齢、一般生活等で生体が受ける通常の要因による基礎疾患等の経過)による増悪による発症であるなどの特別の事情のないかぎり、業務が基礎疾患等と共働原因となって発症等の結果を招いたと推認し、業務と発症等との間に相当因果関係があると認定するのが相当である。

(2) 業務起因性と「明確性」

労災保険法は、災害性疾病に限定せず、非災害性の職業性疾病をも「業務上」の疾病として補償対象としており、非災害性の職業性疾病はもともと長期間にわたる有害作用の加重蓄積による疾病であって、「明確性」を必要とすること自体失当である。労働基準法の災害補償責任が、事業主の過失の有無を問うことなく事業主に課せられている制度趣旨は、被災労働者の損害を事業主に填補させることを直接の目的とすることにはなく、自らの使用従属関係下において事業主に被災労働者とその家族の「人たるに値する生活を営むための必要を満たすべき」最低限の労働条件を確保してその生活を保障させることにある。この趣旨からして、業務起因性を「明確」な場合に限定して肯定する合理的な理由は存しない。

(3) 長時間にわたるストレス、疲労の蓄積、過労

長期間にわたる肉体的及び精神的ストレス、疲労の蓄積、過労は血管病変の形成、増悪に大きな影響を及ぼすことは顕著な事実であり、発症直前の業務の過重性のみが血管病変の形成・増悪に影響を及ぼすとする医学的知見は存在しない。

(二) 恒夫の業務の過重性

(1) 労働時間からみた過重性

〈1〉 東日の勤務体制

(イ) 通常勤務

東日の印刷労働者の通常の勤務実態は、別紙第1表のとおりであるが、この勤務パターンは、労働者が二四時間拘束勤務を二度繰り返した後に休日をとるものであり、五日間に二度の夜勤がある厳しい勤務である。

(ロ)特別勤務

昭和六三年六月ころより採用された特別勤務体制の勤務実態は、別紙第2表のとおりであるが、この勤務においては、一暦日の公休は一〇日に一度となり、実質的に夜勤は一〇日に五度おこなわれることになる。この勤務は、印刷労働者にとって辛い勤務で、当時労働者は限界状態にあり、東日自身も労働者に「相当な負担」がかかったことを認めている。

〈2〉 恒夫の労働時間の過重性

(イ) 被災直前一年間の労働時間

恒夫の昭和六二年九月一六日から昭和六三年九月一五日までの被災前一年間の労働時間等は、次のとおりである。

総労働時間数 二八二六時間二〇分

総実労働時間数 二五五五時間二〇分

二二時以降の労働時間数 一〇二一時間二〇分

時間外労働時間数 六五八時間二〇分

総出勤日数 二七一日

宿直日数 一五五日

一日平均の労働時間数(総労働時間数÷総出勤日数)は、約六二六分(一〇時間二六分)におよび長時間労働の実態を示すが、特徴的なことは、二二時以降の労働時間数の総労働時間数に占める割合(二二時以降の労働時間数÷総労働時間数×一〇〇)は約三六%余り、総出勤日数のうち泊まり勤務(宿直日数)の割合は約五七%余りに達し、時間外労働時間数の殆ど全ては深夜時間帯であり、深夜に長時間の過酷な労働が繰り返されていたのである。

また、右の労働時間には、いわゆる仮眠時間は含まれていない。勤務パターン表等において夜勤後午前四時から同九時までは仮眠時間として設定されているが、五時間の仮眠が可能であるわけではない。即ち、作業後、入浴や軽い飲食をし、床にはいるのは大体午前五時頃になり、直ぐには寝つけないのであり、かつ金杉工場の仮眠室の環境は隣との境もなくベットが並べられ、民家一つ隔てて国道一号線に接し、十分な睡眠をとれるものではなかった。

このような仮眠時間の実態からすれば、この五時間は業務から解放される時間ではなく寧ろ、前日の午後四時から約一二時間連続の厳しい労働を続け、更に朝九時から始まる労働のために、生理的限界を考慮して待機する時間として、東日の「夜勤-昼勤」は一連の長期間拘束時間と見られるべきものである。

(ロ) 工場移転および特別勤務体制による過重な労働時間

新工場の稼働が始まっていた昭和六三年六月度(五月一六日から六月一五日)から恒夫の時間外労働時間数が大幅に増加している。七月度(六月一六日から七月一五日)には、恒夫自身の特別勤務が始まり、残業時間は六月度より一〇時間増加し月七二時間となった。これは、従前の月平均的残業時間(昭和六二年一〇月度から同六三年五月度まで)約四七時間一分の約一・五三倍にあたる驚異的なものであった。総労働時間も二六四時間と大幅に増加した。八月度(七月一六日から八月一五日)には、残業時間は七月度より更に五時間余り増加し、月七七時間二〇分となった。九月度(八月一六日から九月一五日)にも、恒夫は過密・長時間・変則労働を課せられた。

恒夫は被災直前の一〇日間にも、別紙第3表のとおり、特別勤務を含む厳しい勤務をおこなっている。

(ハ) 蓄積疲労の評価

このように、恒夫は年間をとおして深夜の長時間労働を繰り返し、とりわけ、被災前四か月間は二工場同時稼働という極めて特殊な状況のなか、過酷な勤務体制を強いられ、夜勤労働者にとっては異常ともいうべき労働をこなし、疲労を蓄積していった。

(2) 業務内容から見た過重性

〈1〉 印刷労働の過重性

新聞印刷労働には、本来的に次のような労働の過重性がある。

(イ) 夜勤による過重性

恒夫の業務の三八%は深夜業であり(被災前一年間)、仮眠時間はあるものの、それは質量とも劣悪なものであった。かかる夜業昼眠は、反生理的なものであり、昼眠において疲労回復が困難であること、人間はこれに順応することができないことは、医学的に周知の知見である。

(ロ) 作業環境による過重性

印刷では輪転機作動時は一〇〇ホン以上の騒音の中で作業をする。恒夫が配転前に勤務していた「大組」は、右のような騒音に悩まされることなく作業をすることができた。しかし、配転後は、慣れないこうした巨大な騒音の中、長時間にわたって立ち作業を続けざるを得なかったのである。

〈2〉 東日特有の業務の過重性

(イ) 東日の合理化

東日は、昭和四八年のオイルショックを契機に合理化を進めて人員を整理し、とりわけ新旧両工場同時稼働の時期においても人員の補充は不十分であったため、特別勤務体制が敷かれ、職場では、長時間残業・長時間深夜業が当たり前となり、労働の密度も強化された。

(ロ) 東日の勤務体制(他社との比較)

東日の勤務体制は、同業他社と比較した場合、〈1〉夜勤の始業時間が他社の職場と比較して極めて早く夜業の時間が極めて長い、〈2〉休日が少い、〈3〉夜勤明けの昼勤の始業時間が早く、仮眠時間が短く、疲労回復が困難である、〈4〉昼夜逆転の勤務パターンによる疲労蓄積を防止する工夫が見られない、という事情にあり、通常の勤務体制を他社と比較しても、東日の勤務は過重であり、特別勤務体制に至っては過酷な勤務であったことは歴然としている。

〈3〉 恒夫独自の業務内容の過重性

恒夫は、労働密度及び業務内容について、通常業務においても次のとおり独自の過重な労働をおこなっていた。

(イ) 一五Fセットの過重性

恒夫は被災当時、金杉工場においては一五Fセットという印刷機械を担当していたが、一五Fセットのメンバーのうち一名は日本鋼管から出向してきた印刷未経験者であり、安心して任せられるのは検紙作業等位であり、出向者ということでミスをしても大目に見られていたので、他のメンバーに特別の負担がかかった。

一五Fセットは、株式市場新聞を印刷しなければならなかったため、要員は多忙であり、また夕食の時刻が遅くなるため、間隔を置かずに夜食を取らなければならない等の不都合があった。

一五Fセットの印刷機は古いレターオフ機であり、トラブルの多い取り扱いの難しい機械だった。

(ロ) 配転による過重性

恒夫は、肉体的負担の比較的軽い制作部の「大組」から前記のような過酷な印刷職場への配転によって、大きなショックを受け、肉体的に過重な負荷を受けながら、印刷技術の習得に努めていたが、年齢面でのハンデイ等で、その習得は難しく被災時には未だ初歩的なことだけしか理解できない状態であった。そのため、思い通りの仕事ができず清掃にも時間がかかる等で精神的・肉体的消耗をしていたところ、新工場移転体制において、新工場に清掃要員として派遣され、新型機械の勉強もできず、特別勤務により肉体の限界まで働いていたのであった。

(3) 工場移転および特別勤務による業務の過重性

〈1〉 特別勤務の過重性

特別勤務体制においては、三六時間の拘束を受け、夜業を二回行う。言わば、徹夜の勤務が二日間続くのである。この間仮眠時間が二度設定されているが、印刷の都合に合わせただけの無理な仮眠時間の設定であり、生理的に睡眠をとれる時間ではない。加えて、二度目の作業の終了は午前四時という中途半端な時間であり、それから帰宅して睡眠をとる時間ではない。一〇日に一度とはいえ、中高年者にこうした二日連続の徹夜作業を行わせるのは、その他の通常の勤務日も徹夜作業であることを考えれば、極めて過重な負担であることは明らかである。

特別勤務終了日は「公休」とされているが、これは「公休」の実態とはかけ離れたものである。こうした不規則な特別勤務日があることは、特別勤務それ自体の疲労にとどまらず労働者の疲労の回復を妨げ、生活のリズムそのものを狂わせてしまう。

〈2〉 恒夫特有の業務の過重性(新工場派遣による業務の過重性)

恒夫が越中島工場へ派遣されていたのは印刷機の清掃のためであり、越中島工場での作業時間の全てが清掃にあてられていたが、右清掃作業は、肉体的に最も辛い仕事であった。また、自分の技術の未熟さ故に清掃要員に配置されたことも大きな精神的苦痛であったことは想像に難くない。更に、新型機械の操作を覚えるようにいわれていたが、実際には、何の指導・教育もなされず、越中島工場においては清掃ばかりで、勉強の機会も与えられなかったのである。こうした働けば働くほど同僚との技術の差が開いていくという不満と焦りが、恒夫の精神的ストレスとなっており、健康状態にまで影響していた。

恒夫は越中島工場で稼働するため、金杉工場から越中島工場まで会社のバスで移動していたが、集合時間に遅れないよう、普段より早く起床していた。少ない仮眠時間が更に少なくなり、集合時間に遅れてはならないという緊張、バスの移動による疲労、新工場で待ち受けている辛い清掃作業、これらのものが恒夫にとり更にストレスとして負荷された。

(三) 恒夫の被災直前の身体状況

恒夫は、妻である原告に対して、肩が凝ったり足腰が疲れたと頻繁に訴え、休みの日に子供にせがまれても遊びに出かけなくなっていたこと、二工場掛け持ちの勤務について妻に愚痴をもらすだけでなく、同僚に対しても怒りをぶつけていたこと、特別勤務体制に入って気が短くなり、怒りっぽくなっていたこと、疲れているのにすぐに寝つけないような状態が続いていたこと及び被災当日のバスの中で顔色が悪かったことが認められ、右(二)で述べたような過重な業務に従事した結果、恒夫の直前の身体状況は、精神的・肉体的ストレスの蓄積により著しい過労状態にあったことが明らかである。

(四) 被告の過重性判断の誤り

(1) 勤務時間の過重性について

被告は、恒夫の労働時間を同僚労働者と比較し、恒夫の労働が特に過重であったとはいえないと主張する。しかし、仮に労働時間が同一であっても、被災労働者の作業能力、担当業務内容等の違いにより過重性の判断は異なり、こうした単純な労働時間の比較によって、過重性なしとはいえないのである。

第一に、右同僚労働者は、全て印刷部に配属されて一〇年以上のベテランであって、印刷業務に精通している労働者であり、印刷に配転されて一年七か月の恒夫とは業務をこなす能力に差がある者である。

第二に、恒夫は、右同僚労働者と異なり、工場移転体制下、清掃専門の要員として越中島工場に派遣され、印刷部の業務において清掃作業が最も肉体的に過酷なものであるのに、新工場において一日中清掃作業ばかりをおこなっていたのである。

第三に、恒夫被災当時の特別勤務体制下において、右同僚労働者も恒夫も疲労困憊しており、特に過重な精神的、身体的負荷と判断される状況にあったのである。

(2) 配置転換による過重性について

恒夫にとり、配転によって、業務内容はもとより、勤務時間の変更(仮眠時間の減少)、作業環境の悪化等に大きな変化があり、とりわけ、印刷技術習得は容易ではなく、高齢で配転された恒夫はまだ初歩的なことしか習得できておらず、技術が未熟なために多くの肉体的・精神的ストレスを受けていた。特に、技術不足のため、越中島工場で印刷作業ができず、清掃要員として派遣されたことは肉体的のみならず精神的に極めて大きなストレスとなったのである。

(3) 工場移転体制下の業務の過重性について

本件の特別勤務は、三六時間拘束勤務という異常な連続勤務を含むものであり、恒夫以外の労働者も疲労の極にあり限界状態で仕事をおこなっていた。したがって、業務内容が他の労働者に比し若干でも過重なものになれば、それが引き金となり被災する状態であった。

(4) 業務過重性の総合的判断の必要性

以上のように、業務体制、労働時間、業務内容等は相互に影響しあって、総体として業務の過重性を形成しているのである。しかし、被告の主張は、個々の事実を別々に取り上げ、しかも十分に内容を検討することなく個別にその過重性の判断を下したものであり、総合的な判断とは程遠く、判断の姿勢そのものからして誤ったものと言わざるを得ない。

(五) 恒夫の虚血性心不全発症の業務起因性

(1) 文献によれば、精神的・肉体的ストレスの蓄積による過労状態が冠動脈硬化を促進、悪化させ、心筋梗塞を発症させたり致死的不整脈を引き起こす原因となること、夜勤労働は疲労を進行させ、騒音環境もストレスとして作用することが認められる。

(2) また、本件について、労働科学研究所労働生理心理学研究部主任研究員酒井一博氏及び長谷川吉則医師は、直前の業務による過重負荷が恒夫の虚血性心不全による死亡の誘引となったとの意見を述べている。

(3) 恒夫の親兄弟妹や子供には脳・心臓疾患を持った者はおらず、恒夫の本件虚血性心不全発症に遺伝的な影響を考慮する必要はない。

(六) 以上によれば、恒夫の虚血性心不全発症は業務に起因したものであることが明らかである。

2 被告の主張

(一)「業務上疾病」について

(1) 労災保険法一二条の八は、業務災害に関する保険給付は、労働基準法の相当する各規定に定める災害補償の事由が生じた場合にこれを行うものとしているところ、労働基準法の災害補償責任は、労働者の損害を、その発生原因を自己の支配領域内に有するものに負担させるというもので、事業主の過失の有無を問うことなく事業主に課せられるものとされていること、罰則をもってその履行が担保されていること(労基法一一九条一号)、労災保険法においても、保険給付の原資は事業主の負担とする保険料とされていること等からすると、労働者の罹患した疾病の業務起因性は、明確かつ妥当なものでなければならない。したがって、業務上の疾病とは、業務が当該疾病の発症に対して、相対的に有力な原因であると認められる疾病をいうものと解され、業務と疾病との間にいわゆる相当因果関係がある場合とは、両者の間に右に述べた関係がある場合をいうものと解される。

また、右の業務起因性とは、業務と発症原因との因果関係及びその原因と結果としての疾病との因果関係という二段の因果関係を意味するが、各因果関係は、それぞれ前者(原因)が後者(結果)に対して相対的に最も有力な役割を果たしたと医学的に認め得るものでなければならないというべきである。そして、因果関係の相当性の判断において、業務上の事由の外に有力原因が認められる場合は、これらに比して業務上の事由の方が質的に有力に作用したと認められる場合についてのみ相当性があるとするのが妥当であり、労災保険の制度的特質(前述のとおり事業主の過失の有無を問わず事業主が費用負担することが罰則をもって強制されていること。)、労働基準法施行規則三五条及び同規則別表第一の二の規定の仕方(「その他の業務に起因することの明らかな疾病」にいう「明らかな」とは、業務に疾病を生じさせる有害因子ないし具体的危険があるため業務に起因することが経験則上明白であるという「明らかさ」をいうものであること。)からみて、有力に作用したか否かは、業務に疾病の具体的有害性ないし危険性が存在しているかどうかを判断の根拠とすべきである。

労働省は、斯界の専門家からなる各種専門家会議の検討等に基づいて各種疾病についての業務上外の認定基準を策定し、これに基づき認定事務を行っている。脳・心疾患の認定基準としては、「脳血管疾患及び虚血性心疾患の認定基準について」(昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号)が示されている。本件疾病が業務に起因するというためには、単にストレスや疲労が蓄積したということではなく、その発症前に、認定基準が示している業務上の過重負荷の存在が明らかにされなければならない。本件処分は、右認定基準に基づいてなされたものであるところ、その後、新認定基準として平成七年二月一日付け基発第三八号同局通達が施行されたが、基本的考え方及び基準自体は従前の通達と差異はない。

(2) 脳・心疾患の認定について

現代の医学的知見によれば、脳血管疾患及び虚血性心疾患等については基礎となる心筋変性等の基礎的病態(血管病変等)が加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪し、発症に至るものがほとんどであるとされている。業務がこの血管病変等の形成に当たって直接の要因となることはなく、さらに、医学的知見上、虚血性心疾患等の発症と医学的因果関係のある特定の業務も認められていない。したがって、脳血管疾患及び虚血性心疾患等は、いわゆる私病(血管病変等)が増悪した結果として発症する疾病と認められるから、その増悪、発症に業務が相対的に有力な原因をなしたものと認められる場合にはじめて、業務に起因することの明らかな疾病と認められることとなる。つまり、急激な血圧変動や血管収縮によって、血管病変等が急激に著しく増悪して、脳血管疾患及び虚血性心疾患が発症した場合であって、この急激な血圧変動や血管収縮が業務によって惹き起こされ、血管病変等がその自然経過を超えて急激に著しく増悪し発症に至った場合に、その発症に当たって業務が相対的に有力であると判断され、業務に起因することが明らかであると認められることとなるのである。

このことから、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務起因性の判断に当たっては、個々の事案について、血管病変等がその自然的経過を超えて急激に増悪し、発症に至ったものであるか否かを慎重に判断する必要があり、その判断においては、急激な血圧変動や血管収縮を起こし、血管病変等をその自然的経過を超えて急激に著しく増悪させ得る負荷(以下「過重負荷」という。)の有無が検討されるべきである。そして業務による明らかな過重負荷として、〈1〉業務に関連する出来事のうち、発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したこと、〈2〉日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したことが考えられ、更に、業務起因性まで肯定されるためには、過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであることが必要となる。

(二) 恒夫について

(1) 恒夫の死因等

恒夫の直接の死因は虚血性心不全であり、その原因は冠状動脈硬化症とされている。冠状動脈硬化症を起こす危険因子としては、高脂血症、高血圧、糖尿病、虚血性心疾患の家族歴、喫煙が重要であり、さらに、肥満、運動不足、精神的ストレス、高尿酸血症などが挙げられ、これらの危険因子を同時にいくつかもつ場合、発症頻度は高くなる。

(2) 恒夫の勤務状況

〈1〉 同僚との比較

恒夫の死亡前一〇日間の拘束時間及び実労働時間等並びに恒夫の死亡前である四月から八月までの間の実労働日数、拘束時間、実労働時間及びその内の深夜時間は、いずれも、同僚と比較して特に過重であったとはいえない。

〈2〉 恒夫の業務内容

恒夫の業務内容については、制作部から印刷部への移動により作業内容の変化は認められるが、印刷部に移動してから約一年七カ月が経過し、肉体的・精神的順応期間は十分過ぎており、恒夫だけではない越中島工場への移動に伴う疲労等については、医学的にも明らかでない。

勤務形態については、昭和六三年六月ころから新工場操業に伴い新体制になったことは認められるが、恒夫だけの特別勤務体制ではなく、同僚も同一勤務体制をとっており、勤務体制が変更になったため恒夫だけに過重負荷がかかるということではない。

勤務環境については、作業職場において、印刷中の騒音は認められるが、同僚等についても同様な作業環境であり、作業環境により恒夫が症状を増悪させたとは医学的にも明らかでない。

騒音、臭いが、人に対してどの程度ストレス反応を生じさせるか個人差もあることであり、医学的に確立はされていないことが認められ、仮眠についても睡眠は個々の人間の範疇に属する問題といわざるを得ない。

〈3〉 突発的出来事の不存在

恒夫について、死亡前一週間の間に、業務に起因し肉体的・精神的に衝撃を与えるような突発的な出来事は生じていない。

(3) 恒夫の基礎疾患

恒夫の健康診断の結果によると、恒夫には、死亡前に糖尿病、高脂血、高中性脂肪、境界型高血圧、肝機能障害の基礎疾病があったことが認められる。糖尿病が恒夫の死亡原因である冠状動脈硬化症を増悪させる危険因子をなしていることは医学的にも認められている。

(4) 恒夫の日常生活

恒夫は、普段、特に運動は行っておらず、一日二合くらいの飲酒と二〇本程度のタバコを吸っていた。恒夫は、昭和六〇年秋の健康診断で糖尿病と判明し、昭和六一年一月八日糖尿病で受診し、昭和六二年二月以降、二、三カ月に一度、血糖降下剤の投与を受けたが、昭和六三年五月の投薬を最後に死亡まで受診せず、この間、血糖降下剤の服用をしてないのであって、死亡直前の健康診断結果で血糖値二四七に上昇している。恒夫が十分な食事療法を行っていたとは到底認められない。

(三) 結論

以上の次第で、本件においては、血管病変につき加齢等の自然経過を超えて著しく増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす過重負荷が本件事故の直前少なくとも一週間程度以内の近接した時期に存し、それによって本件が発症したものとは到底認められず、むしろ、基礎疾患に対する健康管理の不十分及び一日二〇本程度の喫煙という事実に鑑み、危険因子を同時にいくつかもつ場合には冠状動脈硬化症の発症頻度は著しく高くなるという医学的知見に基づき、恒夫のもつ危険因子が競合し自然経過により発症したものと認めるほかない。

本件を新認定基準に照らして検討したとしても、右のとおり恒夫の発症前一週間以内に過重な業務が継続していた事実も、日常業務と質的に著しく異なる業務に従事していた事実もなく、前記医学的知見等に鑑み、本件処分が適法であることは明らかである。

第三  争点に対する判断

一  恒夫の経歴と業務内容

前記「争いのない事実等」の各事実及び各掲記の証拠によれば、次の事実が認められる。

1 恒夫の勤務歴、状況等

恒夫は、昭和四九年九月に東日に入社し、入社当初印刷部に配属されたが、入社の約四カ月後から約一二年間にわたって、制作部において「大組」の仕事に従事していた。「大組」とは、小ゲラ(二〇行一三字ごとの活字の一まとまり)を紙面のレイアウトに基づき一頁大の紙面に組み込んでいく作業であり、肉体的には軽作業であった。その勤務時間は、

第一日目 一二時から二四時三〇分ころ(その後仮眠)

第二日目 一〇時から一八時(その後退社)

第三日目 一一時から二四時三〇分ころ(その後仮眠)

第四日目 九時から一五時(その後退社)

第五日目 公休

であって、夜勤の場合も二四時三〇分には業務が終了し、仮眠時間は八時間以上あった。作業環境も臭気、騒音は殆どなかった。

2 印刷部の勤務時間

(一) 通常勤務時間

印刷部の通常の勤務時間は別紙第1表のとおりである。第一日目は一六時から翌日四時まで夜勤、工場において五時間の仮眠時間後、第二日目の九時から一六時まで日勤に従事した後帰宅し、第三日目は再び一六時から翌日四時まで夜勤、工場において約五時間の仮眠時間後、第四日目の九時から一六時まで日勤に従事した後帰宅し、第五日目は公休日であった。

従業員は、午前四時に仕事を終了した後、各自入浴、休憩等をしてから就寝するため、仮眠時間はその分短くなった。

東日のこの勤務時間は、同業他社と比較すると、夜勤の開始時間が早くて夜業時間が長く、休日が少なかった。

(二) 特別勤務体制

東日は、金杉工場を越中島工場に移転する計画を立て、昭和六三年六月ころより越中島工場の印刷機の稼働を始めるなど漸次移転を開始し、同年末ころ移転を終了させた。このため、同年六月より一二月までの間、両工場を同時に稼働させ、これに対応するため「特別勤務体制」と称する勤務体制をとった。その勤務時間は別紙第2表のとおりである。第三日目までは、通常勤務と同じだが、第四日目の一六時に日勤終了後、工場において二度目の五時間の仮眠時間をとって、二一時から翌日四時まで夜勤に従事してから帰宅するというものであった。

3 恒夫の勤務状況

(一) 死亡前六カ月間の勤務状況

恒夫の死亡前六カ月間における勤務状況は、別紙第4表のとおりである。恒夫は同年七月一〇日から、特別勤務につき、七月一一日、二一日、三一日、八月一一日、二一日、三一日、九月一〇日が特別勤務日であった。

特別勤務開始後の昭和六三年六月分(同年五月一六日から同年六月一五日)から恒夫の実労働時間及び残業時間は増加し、特に、残業時間の増加が著しかった。なお、恒夫は同年八月中に年休をとったため、八月分及び九月分は実労働日数が減っているにもかかわらず、右のとおり、実労働時間及び残業時間は増えていて、一日あたりの労働時間は増加した。

(二) 死亡直前の一〇日間の勤務状況

恒夫の死亡直前一〇日間の勤務状況は別紙第3表のとおりである。同表のとおり、恒夫は、九月一〇日に特別勤務についたが、翌一一日が新聞休刊日であり、その翌一二日は公休日であったため、九月一一日の午前三時五〇分から同月一三日の午後四時まで勤務せず、同月一七日(同月一六日の午後四時三〇分から同月一八日の午後四時まで)も休日であった。また、恒夫は、同月一八日の午後四時から翌一九日の午前四時二〇分まで金杉工場で勤務し、仮眠後の午前九時四五分ころからバスで越中島工場に移動し、午前一〇時二〇分ころから一一時三〇分ころまで稼働してから昼食、休憩後、午後一時三〇分から午後の勤務についてまもなく死亡した。

4 作業内容及び作業環境

(一) 作業内容

(1) 金杉工場での作業内容

恒夫が従事していた印刷部の業務内容は、(イ)一台の印刷機を五人一組で担当し、原版を印刷機に装着するなどの準備作業を行った後、輪転機を稼働させ、印刷されてくる新聞の印刷状態を確認しながら、インクの出具合や印刷位置等の調整を行なって商品として出荷できる紙面にする、(ロ)出荷できる状態になると高速度で印刷を開始し、印刷中も印刷された紙面を常に確認しつつ、紙つなぎ部分等を素早く取り除き、決められた部数の印刷をする、(ハ)印刷の前後には、印刷機を丁寧に清掃する、というものであった。印刷機が少しでも汚れていたり、インクの出具合にムラがあったり、紙つなぎ部分の取り除きに失敗したり、途中で紙が切れて、紙切れした紙片が印刷機内に付着したりなどすると、印刷された紙面が商品とならず、印刷をやり直さなければならないものであった。そして、一分間に約一〇〇〇部を印刷する輪転機の印刷状況を瞬時に判断し、必要な操作を行わなければならず、終始神経を集中させるとともに、他の要員とのチームワークを取ることが要求される精神的負担の大きい作業であった。また、二三時ころから刷り出しが始まり午前四時ころの印刷終了まで、殆ど立ちっぱなしの作業であり、また、印刷機械の清掃は、印刷終了直後のためまだ熱を帯びている印刷機械に付着したインクなどを、雑巾で丁寧に拭き取るものであり、狭い隙間に無理な姿勢で入って作業をしなければならないこともあり、肉体的負担の大きい仕事であった。

特に、恒夫が担当していた印刷機は、旧式で作業効率が悪いうえ、紙切れを起こしやすいなどのトラブルが多く、扱いにくい機械であった。また、この印刷機では、三種類の新聞を印刷していたため、各新聞の印刷終了ごとに印刷機の清掃整備や印刷準備が必要で、作業密度が高く、休憩時間が短かくなった。

恒夫は、印刷部への配転後死亡時までに約一年七カ月を経過しており、作業の一応の手順等には慣れていたが、印刷機械の仕組み等を充分理解し、要領良く仕事をこなすまでには至っていなかった。

(2) 越中島工場での作業内容

特別勤務体制が始まると、恒夫も越中島工場でも勤務するようになった。越中島工場で勤務する日は、恒夫は、金杉工場に出勤して着替えた後、会社のバスで越中島工場に移動し、同工場での勤務終了後再びバスで金杉工場に戻り、入浴・着替えをしていた。バスでの移動は交通事情によっては時間がかかり、恒夫にとって、肉体的にも精神的にも負担となったうえ、金杉工場での勤務後仮眠をしてからバスで越中島工場に移動する場合は、バスに乗り遅れないようにするために、早めに起床しなければならず、仮眠時間が減った。

越中島工場の印刷機はすべてオフセット印刷機であったが、恒夫はレターオフ印刷機の仕事しかしたことがなかったため、印刷の仕事には従事させてもらえず、越中島工場では印刷機四、五台分の清掃のみに従事していた。この清掃はオフセット印刷機の下の狭い場所に潜って、身を屈めて中腰で、印刷機のアーチ内のインクを洗い油をつけた雑巾で拭き取るという苦しい作業であった。恒夫と同様に、越中島工場で清掃業務にのみ携わっていた従業員は、恒夫を含めて六名にすぎなかった。

(二) 作業環境

恒夫の作業していた印刷の現場では、輪転機作動時は一〇〇ホン以上の騒音があり、すぐ側にいる人の声も聞き取れない状況であり、また、化学薬品の臭いが充満していた。

仮眠室は、二段ベッドが隣接して並べてあるだけで、越中島工場ではベッドとベッドの間にカーテンがあるが、金杉工場の場合は、隣のベッドとの間についたてやカーテンは全くなかった。

二  恒夫の健康状態等

《証拠略》によれば次の事実が認められる。

1 恒夫は昭和六〇年九月実施の定期健康診断において、糖尿病と診断され、同年一〇月九日から一三日までの間に精密検査を受診したところ、糖尿病の境界型、要観察、要治療と診断された。その後東京女子医科大学病院で受診し、糖尿病の食事療法の指示を受けるとともに、昭和六一年一月より東日の産業医である進藤診療所で大体月一回受診し、定期的に検査及び投薬による治療を受けていた。この間の血糖値は安定しており、糖尿病は良好にコントロールされていた。但し、恒夫は、昭和六三年五月一一日を最後に受診していない。死亡直前の同年九月一〇日に実施された健康診断では、血糖値が二四七、血圧が「一四八-九二」、総コレステロール値が二〇五、中性脂肪値が二五一で、「境界型高血圧要観察、高脂血要観察、糖尿病治療中・要指導、肝機能障害要観察」と判定されていた。なお、恒夫は昭和六〇年以降、他に特別の主訴、自覚症状をもった病気をしたことはなかった。

恒夫は日本酒が好きであったが、糖尿病と診断された後は、主治医の勧めで、カロリーの少ない焼酎に切り替え、一日につき二合くらいの焼酎を飲み、一日二〇本程度の喫煙をしていた。

2 恒夫は、特別勤務体制が開始される前は、日常的に疲れたと言うことはなかったが、特別勤務に従事するようになってからは、しょっちゅう「疲れた」と言うようになり、「あっちに行ったりこっちに行ったりで疲れるよ、なんでこんなことさせるんだ。」とか、「越中島の機械は俺の頭ではついていけないよ。」などと妻(原告)に愚痴をこぼすこともあった。特別勤務体制になってから、自宅でも寝つきが悪くなり、熟睡できていない様子であり、休日にも外出せずに自宅でごろごろするようになった。

また、死亡直前の九月一九日午前四時の夜勤終了後の入浴時や越中島工場へ移動するバスの中で、同僚に対して不機嫌な様子を見せ、疲れを訴えていた。

三  恒夫の死因等

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1 恒夫の直接の死因は「虚血性心不全」であり、その原因は「冠状動脈硬化症」であるが、冠状動脈硬化症を起こす危険因子としては、「年齢」「高脂血症」「高血圧」「糖尿病」「ストレス」「喫煙」「肥満」「虚血性心疾患の家族歴」「運動不足」「高尿酸欠症」などが挙げられ、これらの危険因子を同時にいくつかもつ場合、発症頻度は高くなるものと考えられている。

2 右危険因子の一つであるストレスについては、多くの医学文献において、交感神経を刺激してカテコールアミンを増加させ、血糖コレステロール値上昇など脂質代謝異常を来たしたりすることによって動脈硬化を発生、増悪させると指摘されている。

四  恒夫の死亡原因についての医師の所見

恒夫の死亡原因についての医師の所見は、以下のとおりである。

なお、恒夫の死因が、冠状動脈硬化症による虚血性心不全であることについては、各所見とも異論がない。

1 医師舟山真人の所見

(舟山医師は、東京都監察医務院の監察医として、恒夫を解剖して死体検案書を作成したものである。)

恒夫の冠状動脈硬化症の程度を狭窄度(最大)で表現するとおよそ左主幹部三〇パーセント、前下行枝六〇パーセント、回旋枝八〇パーセント、右冠状動脈六〇パーセントであり、中等度ないし高度の冠状動脈硬化症であると考えられる。恒夫の場合、臨床的に糖尿病が指摘されているが、確かに糖尿病者は非糖尿病者に比べ、動脈硬化の程度は強く、しかも早期から発現する傾向がある。しかし、恒夫の場合、(解剖所見からは)糖尿病は形態的にはあくまでも「疑わせる所見」程度のものであり、比較的若年者で病歴のうえから糖尿病の既往がない人でも冠状動脈硬化症の程度が高度である症例もあり、恒夫の場合も解剖所見からは冠状動脈硬化症の発生原因は不明とせざるを得ない。

2 医師進藤嘉博の所見

(進藤医師は、昭和二七年から平成三年七月まで東日内に産業医として進藤診療所を開設し、恒夫の主治医として診療にあたっていたものである。)

恒夫は、昭和六一年一月より進藤診療所において糖尿病の治療を受けていたが、この間、糖尿病は良好にコントロールされていた。昭和六三年五月に投薬して以来、死亡まで受診しておらず、死亡直前の健康診断での検査結果で、血糖値が二四七に上昇していることからすると、この間に薬を服用していなかったかもしれない。しかし、この程度では、直ちに、身体に影響を及ぼすものではないし、この状態が数カ月続いたところで、合併症が発生するとは考えられない。恒夫の場合、糖尿病は軽度であり、発症後の期間も三年という短期であるから、恒夫が糖尿病を原因として自然的な経過により虚血性心疾患で死亡したとは考えられない。同年九月一九日に職場において急死するような健康状況がどうして起こったかは全く不明である。

3 医師長沢絋一の所見

(長沢医師は、平成二年四月二七日付けで、三田労働基準監督署長に対し、東京労働基準局地方労災医員として意見書を提出したものである。)

本件の虚血性心不全は通常業務遂行中に発症したが、本性発症直前から前日において業務に関連する異常な出来事があったことは認められない。本症発症前一週間においても、出勤簿及び他の従業員の労働時間などからみて、日常業務に比較して特に過重な業務に就労したことも認められていない。

本例は昭和六〇年一〇月より糖尿病の治療を行っており、そのほか高脂血症、喫煙などの冠危険因子を有しており、従来から冠動脈硬化が存在したと考えられる。冠動脈硬化、虚血性心不全の増悪因子として、肉体的、精神的ストレスも考えられるが、本件の場合、発症直前から一週間までの就労状況からみて、これが直接の原因になったとは判断しがたい。

4 医師浦田純一の所見

(浦田医師は、平成五年四月一五日付けで、東京労働者災害補償保険審査官に対し、鑑定書を提出したものである)

一般に動脈硬化症の発生には極めて多数の因子が関与し、しかもお互いの因子が複雑に絡み合っているので、それぞれの因子がその発生に寄与している割合(寄与率)を正確に知ることは極めて難しい。本件においてストレスが冠状動脈硬化の主因として考えられるかどうかは、結局被災者の業務上のストレスの評価にかかわる問題であろう。

なお、疲労時などの際、糖尿病患者等に一過性に血糖値が高騰することがあり、本例においてもその傾向は認められるが、食事療法が守られていたこと、解剖所見としては糖尿病を思わせる所見に乏しく、血糖値もおおむねよくコントロールされていた点を考えると、むしろ糖尿病の動脈硬化成因ないし促進因子としての意義は少ないものといえよう。

まず、昭和六三年五月までの被災者の業務については、それ以降の業務に比して軽かったと認められる。そうすると、その時点では糖尿病の療養は既に開始され、しかも血糖値はよくコントロールされていたことを考えると、実効的にはストレスはあったとしても過剰な程度のものではなかったといえるのではないか。すなわち、心血管系の障害を発生・促進させるようなものではなかったと考えられるのである。また時間的経過からみても、この時期の業務上のストレスが本件心不全の原因とすることはできない。昭和六三年五月以前の被災者の業務上のストレスは、本件心不全をひき起こす程過剰なものと認めることは困難である。

次いで、昭和六三年六月以降の被災者の業務上のストレスの程度については、同年四月以降の恒夫の勤務状況表(別紙第4表)によれば、七月をピークとして拘束時間、実労働時間が延長されていることが認められる。しかし、深夜時間は死亡一カ月前は五月以前よりかえって少ない。死亡前一〇日間においてみると、業務に関連した事故、あるいは突発的な事件等、特に被災者の心身に影響を与えるような異常な出来事の発生は認められていない。以上の経過からすると、深夜勤務が健康上好ましくないことは否定できないが、少なくとも、死亡直前の土曜日、日曜日は十分に休養を取ったと考えられるので、通常疲労は回復したものと認められるべきであろう。

以上を統括するに、恒夫の受けた業務上のストレスは、その存在は否定しないが、恒夫の身心に及ぼした影響の程度は少なくとも同僚労働者と比較しても軽いことはあっても過重なものがあったとはいえず、いわんや本件虚血性急性心不全の直接原因であるとは認められず、また、その原因疾患である冠動脈硬化症ないし冠動脈狭窄の原因あるいは促進因子として認めることは困難である。

5 医師長谷川吉則の所見

(長谷川医師は、千葉健生病院で内科・循環器科を専門とする臨床医として、恒夫についての死体検案書、健康診断票、定期検診結果個人報告書、カルテ、舟山医師聴取結果、東日労働組合作成の恒夫に関する就労業務内容等の資料に基づく意見を示したものである。)

心臓突然死については、いくつかの疫学的研究で急性及び慢性ストレスが誘引として関与することが推察されている。被災者は著しく過重な特別勤務体制の下でその業務により過労状態、ストレス状態にあったのであり、こうした報告に基づけば、被災者の虚血性心不全の発症は、既存の糖尿病が基礎となり、直前の業務による過重負担がその自然経過を超えて急激に冠動脈硬化症を悪化させ、心筋虚血を起こして虚血性心不全を発症させたと考えられる。したがって、被災者の虚血性心不全による死亡は直前の特別勤務体制下の過重な労働が誘引になったと判断される。

恒夫の糖尿病の罹病期間は長くはなく、かつコントロール状態は良好であったし、恒夫の動脈硬化症に対する影響は少ない。

また、恒夫の昭和六三年九月の健康診断の結果をみると、高血圧は、固定的ではなく、しかも境界域の高血圧であり、本件発症には影響はなかったと判断される。また、中性脂肪値が高く、高中性脂肪血症と判断されるが、総コレステロール値は正常であって、高コレステロール血症がないところ、高中性脂肪単独では、虚血性心疾患の危険因子としての意義は乏しい。また、一日二〇本以上の喫煙は虚血性心疾患の危険因子であるが、突然死については、喫煙は影響がないとの報告がある。

直前の業務による過重負荷が冠状動脈硬化症の発症原因であるとは断定できない。しかし、恒夫の場合、冠状動脈硬化症のリスクファクターを一つ一つ検討すると、少なくとも特別勤務体制下における業務による過労・ストレス状態が主たる原因となって、冠状動脈硬化症を急激に促進したとはいえる。

五  恒夫の死亡と業務起因性

前記「争いのない事実等」の各事実及び右一、二の認定事実を総合すれば、恒夫の死亡の業務起因性については、次のとおり判断することができる。

1 業務の過重性について

(一) 東日の印刷部の印刷作業は、通常勤務体制下においては、夜勤と日勤を繰り返す交替制労働であって、生体リズムに反するものであって、作業内容も肉体的・精神的に疲労度が高いものであったが、恒夫は四六歳になってから印刷部に配転となり、要領よく仕事をこなせるまでには至っていなかったのであるから、長い間軽作業に従事してきた恒夫にとっては、通常勤務体制下の勤務が肉体的にも精神的にも負担であったことは否定できない。しかし、通常勤務体制においては、五日間に三回の割合で定期的に自宅で夜間就寝することができていたのであり、恒夫にとって、右配転から死亡までに約一年七カ月が経過しており、作業の一応の手順等には慣れていて、妻である原告に日常的に疲労感を訴えるような状況になく、右配転以前から治療を受けていた糖尿病は良好にコントロールされており、健康診断でも他に異常はなく、自覚症状もなかったことからすると、通常勤務体制下の業務による負担が、本件動脈硬化症による虚血性心不全を発症させたり、促進させる原因になったものと認めることはできない。

(二) ところで、特別勤務体制下の業務についてみると、労働者は第三日目の午後四時から第五日目の午前四時まで三六時間拘束され、その間、五時間づつ二度の仮眠をはさんで二六時間勤務に従事することになり、勤務終了後入浴、休憩などに時間をとられるので、右仮眠時間まるまる仮眠できるわけではなく、また、通常勤務の場合、第四日目の午後四時に日勤終了後、自宅で二晩続けて睡眠できるのに対し、特別勤務の場合は、第五日目の午前四時に特別勤務を終了して帰宅することになって、完全に昼夜逆転の状態となり、かつ、自宅では一晩しか睡眠をとれないまま、通常勤務に戻るというもので、その労働時間は、相当に過酷であったといわざるをえない。また、その作業内容は、肉体的疲労度及び精神的緊張度の高い金杉工場における通常の印刷作業に加え、恒夫は、特別勤務体制下においては、越中島工場において、より一段と肉体的負担の大きい印刷機の清掃業務にのみ長時間従事していたものであるが、そればかりでなく、両工場の間のバスによる移動によっても肉体的、精神的負担が加わり、さらに、特別勤務体制が一般的に疲労度の高い夏季に向けて開始されたこともあって、特別勤務体制下の恒夫の業務は、客観的に見て、肉体的、精神的な負担の大きい過重な態様であったものということができ、年齢が比較的高く、作業に習熟していない恒夫にとって他の作業員よりも過重負荷が大きかったものと認めることができる。

(三) なお、別紙第3表の恒夫の死亡前一〇日間の勤務状況をみると、恒夫は、昭和六三年九月一一日三時五〇分から同月一三日一六時まで及び同月一六日一六時三〇分から同月一八日一六時までは業務に従事していないが、当時、特別勤務体制に入ってから約二カ月を経過していて、一〇日ごとの特別勤務日を既に七回も経験していたのであって、前記死亡前の恒夫の言動と照らすと、そのころの恒夫は慢性的な蓄積疲労の状態にあって、右程度の休息によって完全に疲労を回復することができたといえる状態であったとはいいがたいというべきである。

2 恒夫の有する他の危険因子について

恒夫は昭和六〇年に動脈硬化症の危険因子の一つである糖尿病と診断され、以後、食事療法及び投薬等の治療を受けていた。しかし、前記各医師の所見によれば、恒夫の糖尿病は罹患期間が短く、食事療法や投薬により血糖値は良好にコントロールされており、死亡直前の健康診断時には血糖値が上昇していたものの、死亡後の解剖でも糖尿病は「疑わせる程度」であったことからすれば、恒夫については、糖尿病は動脈硬化症の発症原因ないし促進因子としての意義は少ないものと認められる。また、死亡直前の健康診断で、恒夫について高血圧、高脂血、肝機能障害が指摘されているが、いずれもその数値はそれほど高くなく、また、死亡一年前の健康診断では異常は指摘されておらず、数値の悪化は固定的ではないことからすると、これらの本件動脈硬化症の発生ないし促進に対する影響は少ないというべきであるし、業務の過重性による蓄積疲労の結果、これらの数値が上昇した可能性も否定できない。

3 相当因果関係について

以上によれば、恒夫は、通常の勤務体制の下でも肉体的、精神的負担のある業務に従事していたところ、昭和六三年六月ころから開始された特別勤務体制下において、継続的に過重な業務に従事し、この過重な業務が恒常的な肉体的精神的な過度の負担となり、冠状動脈硬化症を自然的経過を超えて増悪させた結果、虚血性心不全を来たし死亡したものと認められる。そして、右認定の特別勤務体制下の業務の過重性、死亡前の恒夫の疲労状態、恒夫の基礎疾患の内容等を総合すれば、死亡と右業務との間には相当因果関係があると認めるのが相当である。

4 被告の主張について

被告は、いわゆる新認定基準(労働基準局長の通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成七・二・一基発第三八号)に照らして、同僚との比較において恒夫の業務が過重でないこと及び恒夫について死亡一週間前に突発的出来事が不存在なことから、業務と恒夫の死亡との間の相当因果関係は認められないと主張する。しかし、右新認定基準の「認定要件の運用基準」に照らしてみても、恒夫の特別勤務体制下の業務は「日常業務」、すなわち「通常の所定労働時間内の所定業務」に比して恒常的に過重であるし(別紙第4表)、恒夫の拘束時間や実労働時間は、同僚労働者と比較して過重であったとはいえないものの、右同僚労働者らは恒夫に比べて印刷部における経験年数が一〇年ないし二〇年も長いこと、恒夫は中年になってから印刷業務に配転になったことや死亡当時四七歳であったこと、特別勤務体制下では越中島工場において、同僚より過重性の大きい業務に従事していたことを考慮すると、同僚に動脈硬化症による虚血性心不全の発症者が認められなかったからといって、そのことから直ちに、恒夫の特別勤務体制下の業務が特に過重でなかったということはできない。また、本件の場合は、右認定基準の認定要件(1)ロに該当する場合であるから、発症一週間前に突発的出来事が存在する必要はないものである。したがって、被告の右主張は採用できない。

なお、前記長沢医師及び浦田医師の各所見は、恒夫死亡前の業務についての検討に当たって、恒夫の労働時間の継続的な過重性及び業務内容等についての検討が十分になされているとはいえないから、採用できない。

第四  結論

以上によれば、恒夫の死亡には業務起因性が認められるから、これと異なる判断のうえにたってなされた本件処分は、違法であって取り消しを免れない。

よって、原告の請求は理由がある。

(裁判長裁判官 遠藤賢治 裁判官 白石史子 裁判官 片田信宏)

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